【コラム】高価になるほど不便になるモノを「わかる人にはわかる」と誤魔化すな!幸せな”ブランド買い”を考えてみる

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一般的なモノは高価になるほど機能が充実したり、便利になったりする。例えば洗濯機なら高価なモノは乾燥機機能がついて、洗濯物を干す手間がなくなる。人はそのモノを所有することによる「便利さ」にお金を払うのである。

しかし、世の中には不思議なことに高価になればなるほど不便になるモノが存在する。そしてそれを喜んで購入している人が一定数いる。資本主義経済としては不思議な状態だが、現実的にそういうモノが存在するのだ。

そういうモノ買う人には不健全な買い物をして、かえって不幸せになってるような人がいる。自分の買い物を正当化するために他人をバカにするようなやつらだ。自分がそういう人物にならないように、ここに考えをまとめる。

高価になるほど不便になる不思議なモノ

いくつか例をあげてみよう。

①自動車

代表的なモノが自動車である。自動車によって得られる機能というのは、人や物を遠くまで速く運ぶ機能と言っても良いだろう。この機能を考える上では、日本においてはN-BOXやAQUA、ハイエースなどは費用対効果を反映していると言っていい。

一方でカーマニアが好きな高級車、スポーツカー、SUVはどう考えても費用対効果で語れるものではない。N-BOXの10倍以上の価格のフェラーリは1台でもN-BOXと同じ働きはできない。

たとえ速く走れると言っても、一般道ならN-BOXと所要時間は同じだ。さらには故障率も高く、道で立ち往生している姿もチラホラ見る。機能面で言えば、フェラーリがN-BOXに対して優れているところなど何ひとつもない

それなのに、どうしてフェラーリやランボルギーニに喜んでお金を出すのだろうか?

②腕時計

もうひとつの代表格が腕時計である。かつて、腕時計は高級な時計ほど精緻に時間を刻み、それがブランド力になっていた。

ところが日本のセイコーが開発したクオーツによって状況は一変した。極めて低コストで機械式時計では到達できない精確さを実現したのである。さらにクオーツは電波時計へと進化し、もはや時間がズレることすらなくなった。

これまでの精確さをウリにできなくなったスイスの高級時計メーカー達は、ここで方針を転換する。精緻さではなく、機械式時計を工芸品としてなんとか売ろうとしたのである。ある意味この作戦は成功し、今日に至るまで多くの高級時計メーカーが生き残り、愛され続けている。

一方で、この一見するとおかしな売り方により、腕時計の正確に時間を把握する、という機能はないがしろにされてしまった。腕時計は高価であればあるほど時間がズレやすいモノになったのだ。おまけに修理費用もケタ違いに高い。もはや何のための道具かわからない。

どうして人は不便な高級時計に喜んでお金を出すのだろうか?

費用対効果を超越したものに共通するポイント

10万円とスマートフォンとパソコンの写真

ここまでに例として自動車と腕時計をあげた。他にも似たようなモノはたくさんある。こうした例はなぜ起こるのか?

私はこうした買い物を「盲目的ブランド信仰買い」と呼んでいる。人々はそれに機能を求めてるわけではないのだ。そのブランドを所有したいから買っているだけ。フェラーリだから欲しいのであって、ダイハツが全く同じスポーツカーを出しても欲しがる人はいない。ロレックスだから欲しいのであって、カシオが同じ機械式時計を出してもいらないのだ。あくまでそのブランドが欲しいのである。

ただし、この「盲目的ブランド信仰買い」には注意が必要だ。そのブランドが好きで買う分には何も問題ない。自分の気持ちに正直なだけだから。費用対効果が薄いことも健全に自分で理解できてるはず。

一方で「俺は見る目があるから」「わかるひとにはわかる」と言い出してるやつは考え直すべきだ。費用対効果に優れないことは深層心理で理解しているものの、何かしらの理由をこじつけて価値あるものと自分を誤魔化してるのである。そもそも、わかる人にはわかる、という物は大抵の場合無価値のもののセールストークだ。機能的に良いものは大抵すぐにわかる。

この「わかる人にはわかる」という考え方は非常に危険であり、即刻考えを改めるべきだ。

「わかる人にはわかる」という奴は他人にマウントをとりたい人

いじめをする人のイラスト(男の子)

「わかる人にはわかる」という言葉は言い換えると「凡人には分からないけど俺にはわかる」、「俺は違いがわかる人間」という意味だ。自分は他人より優れてると言っているのである。

これを驕りと呼ばずして何を驕りというのか?自然と他人を下に見ているとこに快感を覚えている。他人に対して無意識にマウントをとっているのだ。とても不健全とも言えよう。

「わかる人にはわかる」という言葉を言い訳にしていることはないだろうか?今一度振り返ってみることをおすすめする。この理由で購入しても、大枚を叩いて何も得るものはない。

言い換えると、「わかる人にはわかる」と言ってるやつの話やレビューは聞く必要がない

本当にブランドが好きだという気持ちは健全

ブランド品のイラスト

何もブランド物を買うことが悪いというわけではない。自分が純粋にそのブランドを好きであれば、それは健全な買い物だ。

パテックフィリップがコスパとしては最悪であることを理解した上で、その歴史、デザインに惚れているのであれば何も問題はない。フェラーリが不便で故障しやすいのを理解した上で、F1での輝かしい実績、官能的なエンジン音にお金を喜んで払うのであれば問題ない。その価値観を共有できない他人をバカにしてはいけないというだけだ

結論:「わかる人にはわかる」と言っていないか振り返ってみよう

5chでいい歳こいた(と思われる)おっさん達が言い争いをしてることがある。大抵は「わかる人にはわかる」という言い訳に終始して、相手を蔑みあう不毛な議論だ。みっともないことこの上ない。カメラやオーディオ、自動車などでよく見かける光景だ。

ブランド物を買うときは本当に自分がそのブランドを愛しているか考えてみよう。コスパの概念を超越した存在なのか自問自答してみよう。「レンズは資産」などの下手な言い訳を考えていては、購入後に後悔が残るかもしれない。自分が心底好きか好きじゃないかで買えばいいではないか

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